ISF07で買った本の感想とか ①

  ISF07からもう1月以上経った今更、買った小説本に手をつける元気がやっと出てきたので、その感想とか。

 

 

・『東京』こは氏(シフト三分)

 東京と対比されて存在する故郷、相対的に個々人に存在する東京。本作品は上京してアイドルになった白石紬がエミリーと共に臨むミニステージへ向けた準備から本番までの物語である。アイドルとしての苦労と劣等感、新天地での生活、何もかもを一変させた中で悩みを抱える白石紬が、自分の選んだ方角へと顔を向けるまでの道筋が丁寧に紡がれている。努力家で実行力もあり気も遣える割に自己評価の低い彼女なりの奮闘が微笑ましい。氏が描く人間たちの暖かみは困難に取り巻かれる彼女を強く支えている。

 初期のSSRや駅で迷う1コマにあるように、白石紬は属性として「上京」を付与されている。当然「上京」という言葉に含まれている意味は単なる地理的な変動だけではない。本作品にも書かれているように東京の外から来ているアイドルは白石紬以外にも多くいる。それぞれの人間がその言葉の中に葛藤や覚悟、地元という存在したかもしれない可能性、それとは両立しえない未来への視点を抱えているのである。

 

 東京。

 氏の書いてきた東京の中で私が好きなのは御茶ノ水だ。具体的に言うならば「頑固な君への贈り物」内に存在する御茶ノ水である。

 本作品は宮尾美也とジュリアが御茶ノ水へギターを買いに行く、という物語だが、ジュリアのギターに対する造詣とそれに即した美也への心遣い、目に浮かぶような御茶ノ水の描写が相まって実に素晴らしいものになっている。

 私自身がその近辺に通っていたので、少なくない思い入れがある。もちろん楽器は弾けないし、利用していたのはもっぱら本屋とゲーセンと飲食店である。ただ、学がないにしても道の両脇に立ち並ぶ楽器屋を過ぎていくのは、相場も知らない値札や楽しげに話す店員と客を横目に歩いていくのは、それなりに愉快な風景だった。作中で宮尾美也が圧倒されていたギターの並びは、外から横目で覗いていた程度だが。

 

「頑固な君への贈り物」は同氏発行の『いちばん大切なものは何ですか?』という同人誌に収録されている。ただし、本として収録される前にも宮尾美也の誕生日に小説としてpixivにあげられている。

 私はpixivにあげられている方を当時読んでおらず、本の形になって初めて読んだ。それ故に「頑固な君への贈り物」の読後感に関しては一回分損している。というのは、表題作である「いちばん大切なものは何ですか?」が後に読む「頑固な君への贈り物」の印象に影響するほど強烈な話だからだ。

「いちばん大切なものはなんですか?」はアイドルとして進み続けてきたジュリアのこれからの物語である。当初は手違いでアイドルとして籍を置くことになったジュリアがロックフェスを機に再び自分の夢に対して向き合う、という言い方ではあまりに言葉足らずで陳腐なので自分でちゃんと読んでほしい。ノンブルにある問いかけが常にジュリアの心の中にちらついているような気がして本当に好きな作品である。今読み直した。色褪せてない。本当に強烈だ。

 

  以下は妄想である。このことは以上の記述が妄想ではないことを保証しない。

 氏の作品について。

 個人的にはミリオンライブにありそうな物語を作るのが上手いなと思っていた。表立った要素に対して背景を作りこむのが上手いなと思っていた。もっと言えば始点と帰結(の両方、または片方)をゲーム内から取り込みゲーム内に収めるのが巧みだと思っていた。

 クライマックスが生っすかで締められる『瞳の奥をのぞかせて』では徳川まつりと妹について、ゲーム内から断片的に釣られる姉妹の情報を編み上げて妹の人格を作り上げ見事にひとつの物語にしている。『IDOL HEROES SPIN OFF SIDE:HEROES』に寄稿された「The Secret Agent」はゲームでは存在しないスパイであるまつりの失敗。その物語の終わりはゲームに存在するリベンジの始まりへ切れ目なく接合されている。

 とは言うものの、そのようにはっきりとした点ではなく、やはりコンテンツ内に散りばめられた要素を拾い上げて編み込む視点が卓越していると思っている。

 

 それから文体について。といっても私は文体とは何なのか全く理解しておらず、そっち方面の知識も技術もなく、何人称何視点と言う話になれば腕を組んで曖昧に流すくらいだ。氏の文章が個性的、に思えるのは私自身がほとんど本を読まないからサンプルを持っていないことに由来かもしれない。なので軽率なことは言えないのだけど。

 言い訳を並べたので話を戻すと、今回の『東京』は白石紬を主軸にしながらも多数の人物の視点や内心が挟み込まれている。このことはゲームとしてのミリオンライブに近いように思える。その近似性は本来登場人物本人にしか知りえないことが語られるということだけではなく、時間軸や関係性など高次にいるプレイヤーにだけ与えられる情報が挟み込まれていることにも関係しているように感じる。そして、それらの情報は氏によって直接かつ違和感なく記述されることばかりではない。想起される高次情報はより巧みに隠されている。そのことがミリオンライブに触れていた者にとって、氏の作品に対する親しみに近い感覚を覚えさせるのではないかと思う。思うことがある。思っているだけである。概ね正しくはない。

 

『東京』についてもうひとつ。

 本作は上記のような白石紬以外の情報がよく差し込まれる。

 私が本作の中で一番好きなのは金沢の自室でスカウトについて一人考えをめぐらすシーンだ。これは私自身の嗜好とか性癖とか、そっちの話だ。

 二番目に好きなのは白石紬が料理をするシーンの前半だ。

 後半の料理とは異なり、あの20行ほどの描写では料理以外の情報は全てシャットアウトされる。今まで挟まれていた一人称の思考や挟まれる高次視点は消え去り、その紙面には、ただてきぱきと少女が料理をしている様子が浮かんでいる。少女すら存在しないかもしれない。

 氏の精緻な料理描写は『ミリオンライブ!食事小説アンソロジー』の寄稿作品にも見ることができる。舞浜歩、田中琴葉宮尾美也の料理過程を通して見せる一面が、言わば料理が手段として存在し、人格が写像として書き出される。

 今回は違う。料理以外の入力も出力も、シーンそのものには存在しない。

 それが料理に没頭する様子でなくて何なのか。こちらが没頭させられている気分に落とし込まれるのは当然である。では単なる料理描写なのか。行為の観察による追体験なのか。そうではない。これはここだけ情報をシャットダウンしているから、他のシーンでの情報が存在しているから効果的なのである。料理に没頭させるシーンは他の料理以外のシーン全てで賄われている。そのギャップの残す印象が今回自分の中で後に引きずっている。

 以上は全て妄想である。本当に妄想である。

 

 恥ずかしい話、私は氏の作品の全てどころか、おそらく存在する半分も追えていない(ような気がする。追えていないことを証明するのは難しいが)。単に私の消費速度が遅すぎるせいもあるが、氏の精力的な執筆スピードによるものだと言い訳させてほしい。そして、過去作を漁り切っていない手前、自分勝手な自覚はあるが、新作が出ることを常に楽しみにしている一人である。 

 

 まとまりがなくなってしまったのでここまで。