200618日記
200618日記(本について、映画について)
本について
昔から「よっしゃ」と身構えないと新しい本が読めない。というわけで積んである本には相変わらず手がつかず、既読の本に惰性で手が伸びる。種本だから、教養だからと買い揃えた本がひたすらに積みあがっているので、今週末は少し崩す方向で行きたいと思う。先週末も同じことを決意した気がするが効果はなかった。今週末も効果はない予定。きっとミリオンのライブ配信を見ながら鎧の孤島で過ごすはめになる。
今日は『マシュマロ戒厳令』を読み返した。あらためてP51が最高だと思った。この本が徳川まつりの小説同人誌として存在していること自体に何か感謝のようなものがある。
映画について
アマプラで『ジェーン・ドウの解剖』『グリーン・インフェルノ』を見た。
『ジェーン・ドウの解剖』はよかった。個人的な嗜好だが静かに進められる解剖のシーンがはちゃめちゃにいい。本当に解剖のシーンが最高だった。チューブに落ちる組織、父の指導、冷たい部屋。会話も画もすべてが性癖だった。死体を剥がすごとに迫る怪異の描写もいい。
ところで、『フッテージ』を見てるときも思ったが、怪異の根拠として急に魔術や悪魔が出てくるのに納得できる日本人はどのくらいいるのだろう。じゃあ呪いや怪物はどうなんだ、と言われればそれもそうだが。万人が『着信アリ』や『呪怨』における根本の原因に納得できているのか気がかりだ。『ミスト』の本筋は怪物かどうかではないはずなので除外する。『クリーピー 偽りの隣人』はどうでしたかと言われて香川照之は無限に肯定できるのでよいと答える。
『グリーン・インフェルノ』も面白かったが手放しに人には勧められない。あらすじを見てそういう嗜好をお持ちならどうぞ、と言った感じ。自分はきつかったです。それ以外にも特殊な嗜好の受け皿が出てこなくはないのでよければ。ただそういった要素を抜きにしても、話の流れはいいし、特に主人公の物語の閉じ方は最高だった。
200618日記終わり。
北上麗花は連続的な人間だなと思うことがある。
過去に対して。思い出はお絵かき帳に残すし、花ざかりコミュでは部屋の中に今までのアイテムが置かれていたし。失くしたピッケルについても引き摺っている。
未来に対して。七夕イベントでは忘れないことについて向き合っていたし。毎日を大事にすることを述べていたし。
そして何より、部屋が汚い。時間的な保存性が高い。
だからこのまま大人とか子供とかそういう離散的な値は跨がないんじゃないかなと漠然と思う。思うというより願ったり願っていなかったりしている。
北上麗花のメモリアルコミュ4、5を読んだ。小さい仕事から入るのも、両親について誇らしげに語るのも、連続的だなぁと耽る。